新しい出会い

昨日は蔦屋書店へ『風と共に去りぬ』の新訳刊行完成記念、久住昌之さんと鴻巣友季子先生のトークを聴きに行った。終わった後の打ち上げにも参加させていただいたのだが、トーク中のお話も、打ち上げで伺ったお話も刺激に満ちていた。

久住さんのブレない姿勢がカッコいい。「面白けりゃいいんだよ」「いびつなところがある方が共感を得て、長く残る」(正確にはこういう言い方ではなかったが)。
「『風と共に去りぬ』の原作者ミッチェルが登場人物全員を愛していて、楽しんで書いているのがわかる、そして訳者も楽しんで訳しているのがわかる」というのには共感した。ミッチェルはしかし冷徹な目で、どの人物とも距離を置いて書いている、とも。その態度が『源氏物語』を書いた紫式部にも通ずるものがある、という洞察だった。

素晴らしいお話を伺いながら、自分の中にもっと読書したり遊んだりという経験が蓄積されていたら、今日のお話をもっと深く理解し納得できるんだろうな…と、読書経験の少ない自分にいつものごとくガッカリ。でもめげずに、ROGANにも負けずに後半生、読書に限らず色々なことに貪欲になろう、と思ったことだった。打ち上げではより一層濃い話を伺うことができて、「口ポカン」で聞いているだけの自分だったが幸せだった。混ぜていただいて、本当にどうもありがとうございました(感涙)。

以下は、昨日の感想とは無関係に最近よく思うこと。
翻訳の勉強を始めてから、以前よりもコンサートや舞台、美術展を楽しめるようになった気がする。「誰の視点で語っているのか」「作者の意図がどこにあるのか」「誰と誰の声が重なっているのか」などを気にしながら物語を読み、訳すということは、クラシック音楽を現代の舞台でどう演奏するのか、まだ演奏をどう受け止めるかということにも通じる。また絵を見ていても、描いている画家の視線について考えたり、人物画であれば描かれた人物の視線が見つめているものについて考えたり、といった見方をすると面白い。こんなことをいうとまた『真面目過ぎ」「お勉強ぽい」、とか言う人がいるかもしれないが、より細かいことに気づけるようになると、感じる度合いも変わってきて楽しい。
大げさかもしれないが、前よりも人生が楽しい…現実には老親のこととか仕事のこととか、色々あるにはあるけれども。
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by oliva16 | 2015-07-25 11:27 | ひと | Trackback | Comments(2)

同窓会

先日、久しぶりの同窓会に出席。

みんな笑顔、元気…まあ、元気な人が出席するのだろうけれど。

それにしても、つくづく優秀な人の多い学校であった。在学している時はそれが当たり前になっていたけれど、授業についていけなくても当然だったわ。

先生方の近況報告、歓談の後、校歌を斉唱した。

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by oliva16 | 2015-04-02 21:11 | ひと | Trackback | Comments(2)

これから考えてみたいこと

「われらにつみをおかすものをわれらがゆるすごとく、われらのつみをもゆるしたまえ」・・・「主の祈り」は学校では深く考えないでブツブツ唱えていたけれど、ひたすら唱えてきた言葉って、いつのまにか身に沁みているものだな。いや、決して自分がそういう寛大な心の人間になったというわけではないが。
「ゆるし」とか「あい」とか「かんしゃ」とか・・・もともと●●語にはそういう概念はないとかなんとか言うけど、なんかこう、”そういうの”を感じる心っていうのは人間なら誰しもあるのではないか、と思ったりするのは、甘ちょろいのか?
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by oliva16 | 2015-01-20 00:25 | ひと | Trackback | Comments(1)

何もしないよりは……

賛同したら、署名しましょう
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by oliva16 | 2014-06-20 01:24 | ひと | Trackback | Comments(0)

こどもをみて思うこと

昔から、自分自身が子どもだったころから、赤ちゃんや小さい子が大好きな私。でも思い返すと若い頃は、友人から子どもの写真を大きくプリントした年賀状を受け取ると苦々しく思っていたものだ。「家族全員の写真ならまだしも、私はこの子知らないし……」と。自分が神経質で意地悪なのかと思ったりもしていたが、周囲にも結構「あれは私も嫌い」という人がいた。

自分がどう転んでも逆立ちしても子どもを持つことは望めないだろうという歳になった今の方が、知り合いに子ども自慢されると辛い気分になってもいいような気がするのだが、それが反対に、全然気にならなくなった。というか、前にもまして赤ちゃん大好き! 電車で赤ちゃん連れの人がいるとさりげなく近くに寄っていってじっと観察してしまうし、隙あらば赤ちゃんに話しかけたりしてしまう。保育園児が台車?みたいなのに乗っけられて集団でお散歩しているのに出くわしたりすると「わー、ラッキー!」と足を止めてじーっと見て顔をほころばせている。

それにしても思うのは、親となった人は子どもを通してもう一度自分が子どもの時に読んだのと同じ本を読んだり、同じ歌を歌ったりという体験をするわけで、一度の人生の中で味わうことの深さには私など到底及ばない。ちゃんと勤めていて仕事でキャリアを積んでいる人は、これまた別の方向で意義ある人生を歩んでいるわけで……あああ、ひるがえって自分は何も積み重ねてきたものが無いなあ。まあ、こういう人生でも、誰に迷惑かけているわけでもないが、誰の役にも立っていない、根無し草みたいな存在だなあ。

でも、ま、こうなってしまった以上は、なるべく自分が楽しいと思うことを選んで追求して余生を過ごそう、と思う今日この頃。来世は絶対にもっと自己主張の強い人間でありたい。親の言うことなんて一つも聞かないもんね〜っ!!
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by oliva16 | 2014-03-20 14:47 | ひと | Trackback | Comments(0)

サントリーホール「作曲家の個展 2013 権代敦彦」

本日はサントリーホールで「作曲家の個展 2013 権代敦彦」鑑賞。
プレトークは「権代敦彦×向井山朋子×小沼純一」という贅沢な顔ぶれ。間に合ってラッキー!!権代氏のお話が聞けたのが良かった。だけど、こちらの頭が悪すぎて「面白そうなこと言ってる」と思いながらもどこまで咀嚼できているかというと……はなはだ心もとない。が、とりあえず覚えていることだけ記録。
向井山朋子氏(ピアニスト、だけど本人によればトークには「美術家」としての登壇だったらしい)の質問。
「抽象的な聞き方になるけど、『死』をどうやって『生きて』いますか?」
権代氏の答え。
「なにごとにも始まりと終わりがある。音の立ち上がりから、最後の音が消えるまでのおよそ17分という切り取られた時間の中で、僕の目標は、『永遠』という概念をつかみ取ること。一瞬の刹那に『永遠』が存在するということを目指している」
権代さんが「作曲に際してはなにも抽象的に作品を作るわけではなく、具体的な演奏家をイメージし、その人の身体性などを意識して音楽を作っていく」というような話をしていたのも印象的だった。「なるほど、だから向井山さんなんだよね、やっぱり……」と納得。繊細かつ力強い演奏、それでいてとても女性性の感じられる出で立ち(本人も十分意識しているはず)。
「いったん曲が出来上がり、一つの作品として作曲家の手から離れていってしまったらそれ以降についてはなんとも言えないものがあるが、最初は「誰が弾くか」を考えて作り始める……いや、でもそうは言っても、のめりこんでしまうと演奏する者の立場とか考えずに曲を作ってしまって、相当ハードな思いをさせることもある」などなど。
話を聞きながら、「音楽作品は、演奏されて初めて『作品』になる、のだろうが、それだけではなくて、聴く人がいてこそ『作品』になるのか……では音が消えてしまった後には、作品はどこに行くのだろう……そういえばこれって、かつて手伝っていた向井山朋子アートプロジェクト ”wasted" でも同じことを考えたんだっけな……作品が巡回し、最後に解体されたら何も残らないのか、何か残るのか?そして残ったものがあるとすればそれは『作品』と呼べるものなのか?」「文学作品の場合、読み手がいて初めて『作品』として成立するのだろうか、読み手一人一人の中で違った形で解釈されたとしたら、それぞれが一つの『作品』なのだろうか…」などと、まとまらない思いが頭をよぎっていた。
公演本編。
演奏そのものについては、正直「この曲好き!」とかいう類のものはなかったけれど、一瞬一瞬の音 ー 笙とオルガンの響きの重なりとか、ドラの音色とか、ヴァイオリンの震えるような消え入りそうな音とか、低く深いメゾソプラノの声を、受け止め続けた時間だった。私にしては珍しく(?!)寝なかったのは、自分でも驚き。
向井山さんの他に今夜のプログラムに登場したのは、波多野睦美さん(メゾソプラノ)、宮田まゆみさん(笙)、近藤岳さん(オルガン)。
管弦楽:東京都交響楽団。児童合唱:NHK東京児童合唱団。
現代音楽を聴くにせよ、現代美術を見るにせよ、現代文学を読むにせよ、せっかく同時代に生きている人の作品を体験するのだから、制作した本人がどんな人か目の前で見て、声を聞いて……という機会がある方が嬉しい。だから、トークから聞けて、本人が書いたプログラムノートを読んで鑑賞できた今夜の公演は、とても有り難かった。機会をくださったAさんにこの場を借りて感謝。
以上、走り書きメモ。
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by oliva16 | 2013-10-12 02:14 | ひと | Trackback | Comments(0)

Buon Compleanno, Tomino!

とても尊敬しているオペラ翻訳家、Yohさんの御子息、Tomino君が10月16日誕生日を迎えるということで、私も1人ひそやかに祝杯をあげさせていただきました!!
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お酒の強くない私にもひと缶飲み切れる、「よなよなエール」と、北海道の贅沢なごちそう寿司!!

Tomino、10年以上会ってないけど、本当にお・め・で・と・う!!\(-o-)/

なーんて、なぜ私が豪華寿司をいただいているかというと…今日一緒に仕事関係の映画試写に出向いて、ついでに書展を観に行った帰り、洋さんが「息子がちょうど明日誕生日だし」と寿司を買われた。そして二人でお茶をしている間にすっかり夜が更けてしまい、Yohさんが「そういえば彼は今夜うちにいないのだった」と気づいて、私にお寿司をくださったというわけ。
ごめんね、Tominoのお寿司、私が味わわせていただきました。ごちそうさま。

Yohさんと話しているといつも、時間が経つのを忘れてしまう。控えめでまっすぐでひたむきで…私にはとてもマネのできない、たゆまぬ努力の人。

今日お話していて、「やっぱりもう少し人に優しくなろう、まず少し親孝行しよう」と反省させられた。
こういう、自分にいつも何かを与えてくれる人との交わりを大事にしていきたいとしみじみ思った。
ありがとうございました…アレ、Tominoへのメッセージのつもりがなんだか変わっちゃったけど、素敵な親子にあらためて、乾杯!!
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by oliva16 | 2012-10-15 23:43 | ひと | Trackback | Comments(3)

読書の秋、にしよう

今日はある高名な翻訳家の方の「翻訳演習」を聴講に行ってきた。
以前から書評やエッセイをいろいろ読んでいたその翻訳家さんがある大学で授業を持っていらっしゃることを知り、さらに「聴講」している人がいるのを知って、厚かましくも直接連絡をとってみたのだ。
「断られてもともと、聞いてみるだけ聞いてみよう」と思ったら、意外にすんなりと「ぜひいらしてください」と言っていただけた。

今日の授業で扱ったのは2ページくらいの短編なのだが、勉強になるポイントが盛りだくさんの講義だった。

・同じ形容詞が何度か使われている場合は作者が特に意味をもたせている場合が多いから、1度目の使われ方を踏まえて2度目を訳すなど、当然考えなければならない

・語り口調で訳すにあたって、誰の目線で語るかを決めたら次は人称(私、オレ、吾輩、ボクちゃんetc.)を決める、そうしたらおのずから文体が決まるし、訳語も決まる(=訳語が「降りてくる」)。これが、文体が思考に与える影響

といった具体的な基本事項や、読んでおくべき翻訳書の数々の紹介があり、90分の講義はあっという間に終わった。こんな充実した講義を受けられる大学生、うらやましい!と思うが、まだ学生の間はその有難みがあまりわからないかもしれない。

とにかく、これからもできるかぎり聴講に行って、得られるものはすべて吸収しよう!と思った。
そんなわけで帰りに早速図書館に寄り、紹介された本をごっそり借りて両手に抱えて帰宅。

家のポストには、通信講座の回答が返送されてきていた。
先生は「基礎はできていると自信を持ってください」って書いてくださっているのだが、一応は「マスタークラス」の講座で基礎ができてなきゃまずいわけで、そこから抜け出さないことには仕事につながらない。それがどうにもこうにも・・・なんだか、回を重ねるごとに自分の読解の浅さが明らかになり、情けない。自分で言うのもなんだけれど、私は日本語の文章を読みやすく、てにをはを間違えずに書くことは結構上手。だが、実は原文の内容を理解しきれていないまま、一見流れるような文章で書き連ねていることが多い。先生の試訳と自分の訳を比べると、その差が歴然(差があって当然とは言え…)。
全6回の通信課題、次回で提出するのは最後になる。気合いを入れて丁寧に、納得いく文章を書いて提出したい。

そんな、読書と勉強の秋にしたい今日この頃であります。。。
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by oliva16 | 2012-10-10 19:54 | ひと | Trackback | Comments(0)

今日の教訓

メールサーバー?の不具合があったらしく、自分の送ったメールに対して私からの返信が来ないとずっと思っていたらしい人から、さっきこんなメールが届いた。

「人の常識」としてメールに返信するようにしてください
仲間として、円滑にして人間関係を進めていきたいのであれば、なおさらです」

○○さん、という呼びかけなし、自分の署名も無し、の「一撃メール」!!
いやー驚いた。送信者は、特に親しい間柄ではないが、同じ勉強をしている会の「世話役」。

でも、メールを送ってきたのはたった2回だったらしい。そのうち1回目が私には届いてなくて、2回目の(これは穏やかな口調の)「再確認メール」が届いたため、私としては「1回目のメールは届いていませんでした…」と説明した上で、内容に関して返事は済ませたつもりでいた。でも、今度は私からのメールがあちらにいっていなかったらしい。

それにしても・・・ねえ。いい大人が、いきなりこれ↑??!!
しかも私はこれまで他の人よりもむしろ密に連絡事項など対応してきたという自覚があるし、それは相手もわかっているはず。つまり、私が今まで無礼を積み重ねてきたわけでは決してないのに、いきなりこれ??!!

と、ドキドキドキドキ、あまりのことに震える指先でメール返信し、でもまた届かないかもと思って別ルートからも返信した。(あっちも、いきなり噴火する前に別ルートで私へのコンタクトを試すとかしたらよかったのに)
「これは私は全然悪くない、でも誤解が生じているので、淡々と落ち着いて、その誤解を解くだけのこと」と自分に言い聞かせ、キーボードに向かう。
「誤解は心外なので、他の方にもやりとりを確認して証人になっていただきたいから公開します!」とか言って、勉強仲間にも冒頭の怒りメールからのやり取りを全部CC同送したいくらいのところを、「喧嘩する理由がないし、エネルギーの無駄」とぐっとこらえ、「いつもお世話になっていることに感謝しているし、無視する理由などありません」という趣旨で丁重にメールをした。…いや、正直すこーし「慇懃無礼」なくらい、丁重だったかな。「どうぞ気を鎮められますように」とか言っちゃったさ(笑)。上から目線、的な。

結局、相手からは「誤解でした、失礼しました」と言ってきたし、良しとしよう。

…と、動悸息切れ指の震えがおさまったところで思い返して、心に余裕ができたら今度はちょっと笑っちゃった。
だって、そこまで親しくはないはずの私に、冒頭のような感情爆発メールを投げつけるって…逆に気を許しているってこと??!!部活とかのノリじゃない?よっぽどストレスたまってるのかな。

とにかく教訓。メールを返信するときは確実に、念入りに。
でも、メールが届いてることがわからなきゃ、返信もできないわな(;一_一)
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by oliva16 | 2012-10-09 00:17 | ひと | Trackback | Comments(0)

相庭尚子さん

ピアニストのキンタさんが亡くなって、早2年近くになる。

今年はスイカ食べなかったな~と思って、ふと思い出した。いつも、でっかいでっかいスイカを家に送ってくださって。私が教えて差し上げた武蔵小杉のラーメン屋さんがことのほかお気に召して、元住吉で稽古がある度に寄っていたようだ。

フカヒレ食べたことがない、と話したら、わざわざ地方公演で行った先からフカヒレ入りの缶詰を送ってくださったり、本当に、「私なんぞになぜ?」というくらい、良くしていただいた。「締切が迫っているのに超眠いんですけど」とか、どうしようもないメールを送った時にも「思い切って15分でも寝ちゃうといいよ」などと返信をくださった。

私なんぞになぜ?と思うけれど、私みたいにどの組織にも所属していない、根なし草のような人間だからこそ、気がねなく親しくしていただけたのかな。

おいしそうなもの、特に麺類とかがっつりした肉料理を見るたび、「これキンタさんに教えたい!」といまだに思ってしまう。

自分が死んだらこんな風に懐かしんでくれる人がいったいどれくらいいるだろう???なんてことを考えると、だいぶガックリくるな。

こんな気分になるのも、秋のせいなのか、はたまた締切間近の仕事のせいなのか・・・。
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by oliva16 | 2012-09-18 15:05 | ひと | Trackback | Comments(2)