イタリア語の仕事

通っているイタリア語のクラスでも下から1,2を争う、いや、争ってないな、確実に下から1位の力しかない私だが、前から登録している翻訳会社に「イタリア語もやっています」とずうずうしくも言っておいたおかげで、小さい仕事が回ってきた。
あるイギリスのロックバンドのコンサートオープニングで会場に流されている音声がイタリア語なので、それを「素訳」(直訳、みたいなものかな、ひねり過ぎず、原語をなるべくすくい取って訳す)するという仕事。
「スクリプトが無いんですけど1分半程度なので…でもコンサート会場だから音が聞き取りにくいかも…」と言われて、とりあえず強気に「はいはい、じゃあ送ってください」と答えて、送られてきた映像見たら…ホント聞き取りにくい!ていうか、聞こえない。
でも頑張って聞こえる単語を拾ってつなぎ合わせて、何かヒントがあるかとインターネットで検索してみたら、流れていた音声というのは実は、あるイタリア映画の中のワンシーンの演説のセリフだということがわかった。
映画のDVDを取り寄せて字幕を確認したいという欲求にかられたが、納期に間に合わない。ネットでは和訳までは見つからない。まあ字幕が見られたり和訳がどこかで見つかったとしてもそれをそのまま使うなんてことはもちろん許されないわけだが。

イタリア語のテキストをなんとか解読するうちに、先日みた映画「人生ここにあり!」を思い出した。
「健康な人」「病んでいる人」の間にどれだけの違いがあるのか。人はそれぞれ違っていて当たり前というのは誰もがいうことだが、その実、「違っている」人がどれほど差別されているか。

以下、A.タルコフスキー監督「ノスタルジア」(1983年製作)の中で、周囲から「狂人」と見られていた男が演説する場面でのセリフ。

Se volete che il mondo vada avanti dobbiamo tenerci per mano.
Ci dobbiamo mescolare i cosiddetti sani e i cosiddetti ammalati.
Ehi, voi sani, che cosa significa la vostra salute?
Tutti gli occhi dell'umanità stanno guardando il burrone dove stiamo tutti precipitando.
La libertà non ci serve se voi non avete il coraggio di guardarci in faccia, di mangiare con noi, di bere con noi, di dormire con noi.
Sono proprio i cosiddetti sani che hanno portato il mondo sull'orlo della catastrofe..."

この世界が前進することを望むなら、私たちは手をつながなければならない。
いわゆる健康な者といわゆる病んでいる者が一つにならなければならない。
さて、健康だという人たちよ、あなた方の健康にはどんな意味がある?
あらゆる人類の眼は私たち皆が転落しつつある崖に注がれている。
あなた方が私たちの顔を直視し、私たちと共に食べ、飲み、寝る勇気がないのならば、自由は何ももたらさない。
この世界を災難の瀬戸際まで持ってきたのはまさに、いわゆる健康な人たちなのだ。

(*訳の面で難があったら、コメントでご指摘いただければ幸いです。)
[PR]

by oliva16 | 2011-08-19 12:49